第十議定書

今日は始めに今まで述べた所を繰り返す。前述べた通り、政府や国民は物の表面だけしか見ないことを心に留められたい。彼らの代表者達は遊ぶことを第一に考えているのだが、そんなことで物事の核心に触れた研究など出来るか。我々の政治研究にはこの前述べた諸件を見逃さないことが肝要で、我々が権力の分立、言論の自由、出版の自由、信教の自由、集会結社の自由、法律的平等、財産及び住居の不可侵、税制問題、過去に遡る法律の効力のごとき諸問題を討究するとき、それが役に立つのである、すべてのこれに類する諸問題は人民の門前で公然論議するのは差し控えべき性質のものである。しかしこれを民衆に語るべき必要が生じた場合には、これを一々数え上げずに、詳論に入らずに、我々が認める近代法律の原則について説明するのである。かく論じ残すことの必要な所以は、我々にあれやこれやを人の気のつかない様に抜かしてしまう自由を与えるからで、もしそれを逐一数え上げてしまうと留保なく全部認めなければならなくなるからである。

人民というものは政治的天才の人々に特別の愛着を持ち大なる尊敬を払うのであって、それら天才のやる強圧政策に対しても次の様な言葉で答える、ずるい奴だ、ひどいずるい奴だ、しかし何とうまくやった!何と人を喰った奴だ!と。

我々はすべての国民を我々の計画した新しい建物の基礎工事に参加させたい希望を持っている。それであるから何はさておきこの果敢な、進取的、力行的精神を捉えることが必要で、これは我々の手先の尽力で、前途に横たわる障害を跳ね除けるに役立つのである。

我々がクーデターを完成した時には民衆に向けて次のごとく述べる。”今日まで万事うまくいかなくて、諸君は全部苦しんできたが、今度我々は諸君の苦難の種子を絶滅するのだ、すなわち、国籍、国境、国家別の貨幣制度を無くする。無論諸君が我々を断罪するのはご勝手だが、我々が諸君のためにやろうとすることを諸君に示さない内に宣告するのは正当と言えるであろうか?”そこで彼らは満場一致喜びに満ち溢れ、希望に満ちて我々を激励してくれる。我々が今日まで世界支配のためにの道具立てとして来た普通選挙、すなわち我々が集会を催しては人類の最も下積みの人々をも馴らして来た普通選挙と、予め準備しておく協定が我々に最終的の役割を演じてくれ、我々を裁く前に我々をよく知ろうとする人類一致の希望を述べる役をする。

故に我々は階級の差別なく強制的に投票を行わせて、多数者の独裁を作り上げなければならぬ。何となれば、多数の専制は知識階級ばかりからは得られないからである。人々を己の自由意志だけで行動することに馴らして、ゴイムの家族主義とその家庭教育の重要性を破壊する。我々は値打ちのある人々も民衆を押し分けて通ることを許さないようにする、そして我々の指導によって民衆はその人達を押さえつけ、計画を説明することをも拒絶する。

民衆は我々の言うことでなければ聞かないように馴れているが、それは彼らが我々に注意を払い我々に服従することには、相当の代償を払っているからだ。

我々は盲目な勢力を創設する。それは我々の任命した手先の命令がなければ、彼らの首領を代えようとしても、動くことも出来ない程盲目的であるのである。

民衆は収入や賞与やその他の利益は新しい首領から出ると思うから、この方式に服従するのである。

政府の計画は一人の頭脳から考えられたようにして施行されなければならぬ、もし多数の頭で各種の要素を考えたのでは実行不可能になるであろう。故に我々だけが行動計画を知っていなければならぬ。が我々はそれを討議してはならぬ、それは最初の創意や各部の関連や実行力や、各要点の秘密な意義を壊さないために必要である。普通選挙では物事を討論し、それを作り直して、残る所は精神の違った構想だけになって、最初の計画の深みや連携には透徹し得ない。我々の計画は強くそしてよく出来ていなければならぬ。であるから、我々の首領の天才的の仕事を民衆の脚下に踏みにじらしたり、制限された少数の人々にすら渡してはならない。

この計画は今暫くは近代の制度を破壊しない。ただ経済を替えるだけである。したがってその発展は我々の計画によるのである。

各国にはほとんど同じ様なものが別の名前で存在する。代表機関、官省、元老院、枢密院、立法機関、司法機関等であるが、これらは諸君の熟知するところであるから、諸機関の働きなど説明の必要はない。ただこれら機関のいずれも国家のある重要なる役目を担任することに注意を望む。私が今重要と言うたのは働きが重要なので、機関そのものが重要というのではないことに注意せられたい。諸機関は政府のすべての職権を分担する。行政、立法及び司法がそれである。それであるからこれは国家の機関の内部において働いているのである。その働きは人体の種々の機関の働きに似寄っている。

もし政府機関のどの部分が具合が悪いと、国家が病気になることあたかも人体の場合と同様で、死ぬこともまた同様でありえる。

我々が国家機関の中に自由主義の毒を注射した所が、その政体が変わってきて、国家は敗血病という不治の病に犯された、我々は息を引き取るのを待つばかりである。

立憲国家は自由主義から生まれて、ゴイムの唯一の救いであった専制国家に代わった。憲法は諸君の知る如く政党のための闘争、論争、軋轢、煽動の学派に過ぎない。換言すれば国家の機能を弱める学派である。選挙戦は新聞の論争と同様に国家権力を無能、無力にし無用の長物とした。それで多くの国において国家の転覆を可能ならしめた。それで共和国の道を開き我々は真の政府に替ゆるに、政府の漫画をもってすることが出来、それに民衆すなわち我々の人たち、我々の奴隷から選んだ大統領をもってした。これが我々がゴイムに、否ゴイム国民に命じた我々の気持ちであった。

近き将来に我々は大統領を責任を持つ役人にするであろう、その後はすべての責任を補佐役に負わせて、我々は表向きの役は演じないであろう。それで権力にありつこうと押し合う連中が段々減ってこようと、大統領を探すのに行き詰まろうとも、我々にはどちらでも同じことだ、いずれにしてもその国は崩壊に向かって行くからである。

我々の計画実行のためには大統領選挙に仕掛けをして、過去の身上に往年のパナマ涜職事件のような隠れた古傷を持つ人を押し出す。かかる人は旧悪の暴露を恐れるのと、大統領の位置から必然受ける役得や栄誉を永く保っていきたいという成り上がり者の心理から、我々の命令を忠実に実行するのである。衆議院は大統領を選挙し、保護し、監視していくであろうが、我々は法律案を提出し、これを修正する権能は与えない、これは責任のあるそして我々の傀儡たる大統領に委任する。大統領の位置は八方から攻撃の的となるのは言うまでもない。しかし我々は人民の代表者の頭上を通り抜けて、直接民衆に呼びかけて、大統領が自らを防御する方法を授けるであろう。換言すれば彼もまた下層民の多数に伍して盲目の奴隷に還元するのである。しかのみならず我々は大統領に戒厳令をしく機能を与える。この特権を与える説明としては、大統領は国軍の長であり憲法の代表者であるから、新しい共和国憲法を擁護するため、軍を使用する必要があるからというのである。こういう訳で、国内政治の鍵は我々の手にあって、我々以外の何人も立法権を指導出来ないであろう。

新憲法を設けたならば、政府の処置に対して議会が質問を発する権利を取り上げる、それは機密保持の理由でやる。また新憲法によって議員の数を最小限に減ずる、これに比例して政治への愛着と煽動を減少する。それにもかかわらず縮小された議会がなおも反抗するようならば、人民の多数に呼びかけて全然議会を潰してしまう。

大統領は上下両院の議長副議長を任命する。会期は一年に数ヶ月だけとする。大統領は執行機関の長として、議会を招集しまたはこれを解散する権能を持ち、解散した場合には次の選挙を延期することを得る。しかし我々の計画がすっきり熟さないうちに、これらの言わば非合法のことをやった責任を大統領に負わせないためには、我々は大統領周囲の諸大臣、大官を説き伏せて、彼らが勝手に省令その他で大統領令に違った解釈を与えてその責任を自分らに取る様にさせる。しかし我々はかなり元老院、参議院、内閣というような機関でやらして個人にやらせないように勧める。大統領は幾通りにも了解される法律に我々の指導によって解釈を与える。

また大統領は我々が適当と認めた時に法律を廃止し、新たなる臨時法を提案する権能を持つようにする。それには国家の繁栄のためと主張して、政体の変革に関するものすら提案し得られるようにする。

これらの処置をすると、かつて我々の意志でなくやむを得ず国法の中に入れてしまったすべてのものを、段々に壊して行けるのである。そしてすべての政府を我々の独裁のもとに集め得られる時には、一切の憲法を廃止するが、それまでは過渡的方法として一歩一歩進むのである。

憲法廃止以前にでも我々の独裁は承認されることがある。それは政府の人々が余りにも不一致で、無能であるのに業を煮やし、我々に勧められて次のように叫ぶ時である。

やめて貰いたい、我々には世界王を立てて我々をまとめて、争いの種子を無くして貰いたい、国境だの、宗教だの、国債だのをやめて我々に平和と安寧とを戻して貰いたい、これは我々の政府や議員には出来ないことだ!

しかし諸君も知る如く、かかる民衆の意気込みを全世界的にするのは、各国内において政府と人民との関係を絶えず撹乱していなければならぬ。そして実行まで行く不和、紛争、闘争、怨恨や、食糧不足、悪疫伝播をもって民衆を困り果てさせ、結局我々の金を借りて我々の支配下に入るほかに手は無くするのである。

もし我々が各国民にほっと息をつき休息をする余裕を与えると、我々に都合のよい時機はついに来なくなるであろう。

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