アメリカにおけるユダヤ金権の確立

ヤコブ・シツフによって、アメリカにおけるドイツ系ユダヤ銀行は、相連結せられたが、そのユダヤ銀行連盟は、クン・ロエブ・エンド・カンパニーを中心として、更に全世界における、あらゆるユダヤ系の大銀行を、連接するに至った。アメリカは世界大戦後、不況によって銀行の閉鎖するもの相次ぎ、1923年より33年までの10年間に、その閉鎖銀行数は、実に7805行の多きに及んだのである。この閉鎖銀行は99%は非ユダヤ系銀行で、しかもその銀行はすべてユダヤ財団に併呑され尽くしたのである。日本移民の銀行がみなつぶれたのもこの時である。

先年アメリカに経済パニックを引き起こし、その波動が全世界に及んだが、この経済恐慌はユダヤ人の計画的の仕事で、彼らがシカゴにおいて、2600万ドルの金貨を引き出したことによって、その端緒が発したのであった。

そもそもアメリカにおける経済大不況の原因は、経済学者によって色々唱えられているが、結局は金の偏在がその主なるものであった。その金の偏在はどこに偏在していたかというと、実はユダヤ人の金庫内に偏在しておったのである。すなわちユダヤ人が金を握ったまま、これをほかに出さないので、100数十億の金貨があっても、結局数十億しかないと同じ結果を生じたのである。

それがために不況ますます深刻に、フーバー大統領に代わって、ルーズベルトが起ち、まず第一にこの不況を挽回すべく、全力を傾注しているのであるが、その結果成績良好で、約200万の失業者を救済し得たと言われている。しかし失業総数1400万あるというから、差引なお1200万人の失業者が、飢餓に迫りつつ、ホワイト・カラーを着けて、乞食をして回っているのである。

その他アメリカにおいては、ユダヤ人のほかは、独り商業上のみならず、不況は農村にも及び、農作物は種子を地上に下ろさるる前、既にユダヤ仲買の手中に帰し、農民の困窮はその極度に達しているとのことである。

さて1912年アメリカにおいては、ヤコブ・シツフ等の活動によって、米露通商条約を廃棄させたのと、ユダヤの大財閥銀行連盟の専横とに対して、さすがのアメリカにおいても、攻撃の世論は到るところに勃発し、これがため米国の上院並びに下院は、ついにユダヤ党排斥の渦中に投ぜられた。ユダヤ党のロボットたる大統領ウィルソンも詮方なく、ユダヤ排斥の目標たるユダヤ銀行トラストの、実際において重要性のあるものであるかどうか、また危険性を帯びているかどうかを、調査する委員会の組織を認めねばならぬように余儀なくされた。

該調査会は、昼夜兼行で調査を開始し、ついに一つの報告書を調製して、これを本会に提出した。

この調書の内容は、実に世人の耳目を聳動した所の、次のような驚くべきものであった。

  1. 問題の対照たるアメリカの恐怖ユダヤ銀行トラストは、完全に組織され存在しあり。
  2. このユダヤ銀行トラストの連盟銀行は、五個の主要銀行より成り、この五個の銀行は他の百十二個の重要なる銀行を管理す。
  3. この五大巨頭銀行と、百十二個の大銀行とは、米国全土はもちろん、遠く海外の重大なる工業カルテル、金融カルテルの支配権を、完全にその掌中に収む。
  4. この銀行同盟の資本総額は、222億4500万ドル、約500億円に達す。

ミューレット及びバンカース・トラストの調査統計表によれば、この222億4500万ドルの大資本は、我が日本帝国の富よりも、更に大なるものである。

なおミューレットの1912年の調査によれば、当時のフランスの富は970億円であり、また英国の大戦前における国富は、1550億円となっている。そこでフランス政府及び個人当たりにして、世界一の富を持っている4千万人の仏国国民の富を合算せるもの、すなわち970億円は、シツフのユダヤ銀行同盟の資本金の二倍に足らないのである。しかして各国の富は、その政府と国民各自の上とに分割されているのであるが、このユダヤ銀行同盟の大資本は、彼シツフ一人の手によって、左右せらるうのであるから、その活動能力の偉大なる点においては、ほとんど吾人の想像にも及ばない所である。

なおこのシツフの左右する大なる資本以外に、英国、仏国のロスチャイルドをはじめ、ドイツのヒルシュ男、ワルブルグ家等、多数のユダヤ大財閥が、世界に散布しているのだから、世界商業利得の三分の一は、日々ユダヤ人のふところに入り、ユダヤ人の富は、世界の三分の二を、すでに掌握せりと認めらるるのも、けだし当然と言わねばならぬ。

さてユダヤ銀行トラスト調査会の報告は、全アメリカを驚倒せしめた。アメリカの議会は、その対抗政策として、連邦準備システムを制定し、十二個の銀行を打って一丸となし、これによってアメリカ合衆国の金融制度の、安全を確保せしむることにした。これが日常新聞紙上に我々がしばしば見受ける所の、アメリカの有名なる準備銀行なるものである。ユダヤトラストに対抗して、このアメリカ連邦準備銀行を創設したことは、確かにアメリカ議会の成功であって、勝利の軍配は確実に非ユダヤ人側に上ったものと見受けられた。

かくて、いよいよその創立の実行に着手する段取りとなり、大統領ウィルソンは、創立委員五名を任命したのである。しかるにこの五名の創立委員の最高の地位に座ったのは、何人であろうか、実に驚くべきことは、かのドイツのユダヤ大財閥、ヤコブ・シツフの義弟たるポール・ワルブルグであったのである。ポール・ワルブルグはその前年すでにアメリカに帰化し、完全にアメリカ市民権を獲得しておったからこれに対してはどこからも文句の言いようはなかった。このポール・ワルブルグは、当時クン・ロエブ・エンド・カンパニーの取締役ではあったが、とにかくこのワルブルグの手によって、準備銀行は組織せられ、何らの修正なくして議会において裁決せられた。

要するにユダヤトラストに対抗すべく、世論並びに議会が努力した所の準備銀行は、結局ユダヤ人の手によって組み立てられ、彼の力によって出産したのである。したがってこのアメリカ人のための準備銀行は、その創立と共にユダヤトラストの準備銀行に変化し、ユダヤ財閥の基礎は、さらに強固を加えたのである。こうなるとユダヤ財閥の偉大なる力は、むしろ感嘆に値する。

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