回教王国として、政治及び宗教の主権を掌握し、欧亜の地にわたって永年君臨したところのトルコ王朝は、最後に青年トルコ党の革命によって、脆くも崩壊し、ついに皇帝はエジプトに亡命してケマル・パシャ(パシャとは回教徒間に称えられる尊称である)がこれに代わり、今日のトルコ共和国が成立するに至ったのである。
この青年トルコ党なるものは、最初主としてユダヤ人、ギリシャ人およびアルメニヤ人から成り立っていた。この三人種はいずれも、狡猾なる点において世界に冠たるものである。この青年トルコ党は当初その活動の効果が、甚だ微弱であって、あまり現れなかった。
そこで彼らは、例の世界的秘密結社であるフリーメーソン(マツソン)に援助を求めた。その結果青年トルコ党秘密委員会が組織され、その本部はサロニカに置かれた。サロニカはその昔スペインから移住したユダヤ人の定住したところで、総人口11万人のうち、7万人はユダヤ人であるという、いわゆるユダヤ都市である。革命党員等はこの市において外国の外交的保護を受けつつ、革命を準備した。したがって老大国トルコ皇帝は、彼らに対して手を下しようがなかった。
このユダヤ市サロニカにおける革命党員の中で、最も有力なるものはフリーメーソン結社員たるユダヤ人であったことはいうまでもない。就中後にトルコ共和国の大蔵大臣となったジャビット・パシャは、サロニカにおける回教ユダヤ人で、この青年トルコ党の革命に参加し、非常な力量を現したのであるが、分けても青年トルコ党の活動資金は、このジャビット・パシャの少なからぬ尽力によって、サロニカユダヤ人の提供したものである。かくして革命は勝利の行進をなし、ついにトルコ帝国は無残に倒され、彼らの欲する今日の共和国トルコが現出したのである。
我々は青年トルコ党の革命をもって、封建的トルコ専制政治に対する、トルコ一般民衆の覚醒と反抗心とが凝って、青年トルコ党が結成され、トルコ一般民衆の解放のために、彼らが奮起した如き感を懐かないでもないが、その真相をとらえてみると、以上の如くであった、もしも青年トルコ党の活動中に、ジャビット・パシャ以下のユダヤ人が居なかったならば、恐らくトルコの革命は、成立しなかったことであろうと思う。これを要するに青年トルコ党の成功は、一面フリーメーソンの謀略であると同時に、他面ユダヤ人の活動の結果にほかならないのである。
ちなみに、老大トルコを青年トルコに還元し、世界の耳目を聳動しているところのケマル・パシャは、純トルコ人(トルコ人は申すまでもなく、いわゆる西洋人ではなく、我々日本人と同様ウラルアルタイ民族に属する種族である)でなくして、ユダヤの血液を受けているということが確実と見られている。なお現在ケマル・パシャ以外の諸大臣は、一人残らずフリーメーソンの結社員であるということは、私がかつてトルコに滞在中、有力なるトルコ人から聞いたところである。