第二議定書

我々が勝利を獲るためには、戦争が交戦国にかなり領土的利益をもたらさないように仕向けることが必要である。そうすると戦争は経済に基礎を置くようになってきて、各国は我々の支配力を認めなければならなくなる。そして我々の国際的手代連中は数百万の眼を光らしていて、いかなる国境もこれを阻止し得ないから、交戦国はいずれもその思うようにされるであろう。かくて我々の法律が交戦国家の法律を支配してしまうこと、ちょうど国家の法律がその国民を律するのと同じ様になる。

各国の統治者は我々に従順なために国民の中から我々が選んでやるので、政治上の能力などは無い、容易に将棋の「歩」のような役目を引き受けて、我々の賢人と賢明な顧問と、世界支配を幼少のときから馴らされている専門家の掌中に握られてしまうのである。諸君も知るごとく、これらの専門家は歴史を研究し、社会の出来事を観察して、我々の政策に基づいて支配するに必要な学術を体得しているのである。ゴイムは歴史上の事実や公平なる観察によらずに、学理の慣習によって導かれ、何ら批判的討究をやらない。であるから我々は彼らに考慮を払う必要はない。絶好の機会の到来するまでは、彼らを遊ばせたり、新しい歓楽を考えさせたり、過去の享楽を追懐させておこう。我々が教えてやったことを科学的法則だとして、後生大事にいつまでも考えさしておこうではないか。この法則に対する彼らの盲目的信仰をなお強めるためには我々の言論機関をこの目的に使う。利口なゴイムは知っていることを並べ立てる、そして理論的にこれを証明してから、我々の手先が我々の思うように彼らを指導すべく集めておいた学問的情報をすべて彼らが実行することに取り掛かるであろう。

我々が此く申し述べることが根拠も無いことと考えないで貰いたい。ダーウィニズムやマルキシスムやニーチエイスムの諸学説は我々が仕掛けたものだが、それがいかに功を奏しているか見て頂きたい。これらの諸学説がゴイムの信念を動揺さした効果は諸君が既に十分に明瞭に認められたことと思う。

我々が政治を指導するにあたって何らの過誤を犯さないためには諸国民の近代思想や、気風や、民情の傾向を承知しなければならぬ。我々の方式が勝利を占めるにしても、その一部においては当面の民情に順応せなければならず、またその方式の適用が過去の成り行きと現状とをにらみ合わせてやらなければ成功せないであろう。

近代国家は国民の間に世論を起こす大きな力をその手に持っている、新聞がそれである。新聞の使命は必要な要望を明らかにし、人民の愁訴を書きたて、不平不満を煽るのである。わかりやすい饒舌に勝ちを占めさせることはまた新聞の重要使命である。しかるにほうぼうの国家ではこの力を利用することが出来なかった、それで新聞の力が我々ユダヤの手に落ちてきた。その力を利用して我々は金を我々の掌中に収めた。それを集めるのは実に血と涙の海の中においてやったのである。しかしそれには我々の多数同胞を犠牲にしなければならなかった。一人のユダヤ同胞の犠牲は神の前においては千人のゴイに相当するのである。

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