我が国とユダヤ民族

世界各国に分散しあるにかかわらず、相互に強固なる団結を保ち、世界のダイヤモンド、金銀、銅、鉄等宝石、貴金属並びに主要金属類の世界的支配権を獲得し、世界の公債をその金庫に納め、言論界を風靡し、学術、演芸方面において、世界をユダヤ化し、「アメリカの文化は浄化せられたるユダヤ文化なり」とさえ称えしめ、「ドイツの文化は、ユダヤの文化にして、ドイツにドイツの文化無し」とまでドイツに対する酷評さえ現るるに至った。

欧米のオペラ、演劇、ジャズ、活動写真、トーキー等全くユダヤトラストの統制下に世界の人心を誘導し、ユダヤ思想の一表現たる自由、平等、博愛の思想より、共産、社会、無政府等、各種の主義思想は混然として五大陸を席捲し、欧米列強及び国際連盟に深く関与して自己のために巧みにこれを利用し、更に世界的秘密結社フリーメーソン(マツソン)を自在に操縦して人心を左右し、武力を持たず、国家を持たないが、ユダヤ民族の世界的の勢力の絶大なる、実に偉なりと言うべきである。

このユダヤ民族と我が大和民族と、また昔のユダヤ王国と我が日本帝国とを比較すると、互いに非常に相似た所があると同時に、また非常に異なった所がある。

昔モーゼが一族六十万の民族を率いて、エジプトを脱出し、西暦紀元前1250年彼らの故国たるカナンの地すなわちパレスチナに復帰してから、ユダヤ民族は十二の支族に分かれたのであるが、その正系に属する種族は、その後東方に向かって移動し、今もってその行先が不明で、歴史上の一つの謎となっている。

そこで説をなすものは、

この東方に移動したユダヤ民族は、すなわち日本民族である、したがって日本はユダヤの正系に属するもので、神の選民中の最高の地位を占めているものであると、いうことを述べている。

かくのごとき説は独り日本の一部の学者ばかりでなく、実際において満州でこの学説を唱えている学者がある。私がパレスチナに滞在中、ロンドンである英人が、このことについて大論文を書き、博士になったことを、ユダヤ人から聞いたことがあった。しかし私は日本のユダヤ系説に対しては全然承服し得ないのであるが、ユダヤ王国の状態を、日本に比較してみると、実際両国の間に似通った点の少なくないのを認めるのである。

まず第一にユダヤ王国は栄華の殿堂をエルサレムに建立したのであるが、これは王宮というよりもむしろエホバを祭る所の神殿であったのである。またユダヤの王族、臣民共に、ユダヤの神から分かれたもので、ユダヤ王室は臣民の宗家である。ちょうど我が国の如く、家族敵組織によって成立した君民一如の国家である。また耶蘇教の旧約全書は、その始めモーゼによって書かれたユダヤ教のバイブルであるが、その中に記されてあるユダヤの諸儀式等は、全く日本のものと同様であって、なお諸種の事柄も、西洋人の頭ではどうしても解釈のつかないことが多いが、日本人だけには明瞭に会得される点が、少なくないそうである。したがって日本の有力なる耶蘇教の牧師の人々の中には、旧約全書を真に理解しうるものは、西洋人でなくして日本人であると、主張している人も少なくないのである。

次にユダヤ人の家庭生活は、西洋式であるというよりは、むしろ日本式の家庭に近いのである。親は子を慈しみ、子は親に孝養を尽くし、祖先を崇拝し、男尊女卑の傾きを有する等、西洋の家庭に見られない状況である。なおまたエルサレムの古城あるいはユダヤの古い寺院には、多くは十二弁であるが、畏れ多くも我が皇室のご紋章に酷似した菊花のしるしの付けてあるのを、見受けることが少なくない。

以上の如き諸点から見て、日本のユダヤ系説が現れたのであろうが、我が古代の厳然たる歴史に鑑み、日本はユダヤ系なりなどいうことは、全然あり得べからざることと思う。

なお現在のユダヤ民族はその国家滅亡し、国民が世界に広く流散して以来、特に近世においては、デモクラシー、社会主義の尖端をきり、革命家として活躍しているが、現今におけるユダヤ人の真にこいねがう所は、ソビエト組織の国家でもなければ、社会共和主義の国家でもない。やはりユダヤ王国そのものである。この事はさきに本書シオニズムの章で、ヘルツル博士の檄文「ユダヤ国」についてお話したが、その「ユダヤ国」の中に、同博士は次のことを述べている。

「ユダヤ人はその歴史の全夜を通じて、この王国敵夢を結ばないことはなかった、『エルサレムの春夏秋冬』とは、我々の古来渇仰せる言葉である・・・・」

右の引用はヘルツル博士が、全世界の同族に対して、真剣に呼びかけた言葉の一節であって、単なる空想や形容詞ではない。

かくのごとくユダヤ王国と我が帝国との類似の点多々あるにかかわらず、我が帝国は開闢以来、万世一系の皇室を奉戴し、国民は天孫降臨の地に安住し、国家は神代の昔より継続し、しかも永遠無数にわたらんとしている、国体の尊厳なること万邦無比、けだし人類の歴史あって以来、他に比較すべき絶無の国家である。

しかるにユダヤ民族は、早くもアブラハムの時代、メソポタミアに定住するを得ずして、カナンの地に移り、さらにエジプトに移住し、後ようやくカナンの地に復帰して王国を建設し、ダビデ王、ソロモン王の時代において、その隆盛の極に達したが、王国分裂以後、国家はたちまち滅亡し、国民は暫時その地に留まっておったが、やがてローマ政府の圧制に堪えず、ついに全世界の各地に流散するに至った。

ユダヤ民族は人類としては、吾人と等しく最高の文明をもちながらも、依然寄生生活を続けている。すなわち国民あって国家を有しない世界唯一の珍しき民族である。

上述のごとく大和民族とユダヤ民族とは、互いに類似せる点はあっても、しかもこれを深く観察すれば、あたかも物の表裏のごとく、全然正反対の立場にある民族である。したがって似ても似つかぬ程に異なった所の歴史をもち、異なった環境に置かれ、全然両極にあるのである。しかるに我が日本人が、このユダヤ人の社会観や主義、主張ならびに思想等を、そのまま受け入れて、これを我が日本帝国に実行せんとするが如きは、根本において既に誤りであると思う。

ユダヤ民族は、自ら神に選ばれた唯一の民であると言っているが、これを我々神の子孫たる大和民族に比べてみると、現在いかにも甚だしく相違しているではないか。

神の摂理とはいいながら、奇しき運命の民族である。彼らが国亡びて民のみを残す悲惨な状態に陥ったのは、もちろん宿命であり、神慮によってではあろうが、しかしながら彼らが、単なる宗教的民族であって、尚武の気象に富んでいなかったのが、大なる原因であることは、歴史が証明するところである。しかるに彼ら民族は、依然としてユダヤ教による預言を信じ、いずれの日にかユダヤ王国を建設し、もって全世界に君臨せんと、黄金力と思想力を武器に、日夜営々として努力を続けている。その結果すでにある方面においては、公然世界の支配的勢力を獲得するに至ったことは、既述の通りである。

ユダヤ人は自ら神の選民と唱えているが、我々日本人は、隈なく全世界を照らすべき、唯一無二の神の子孫であることを、決して忘れてはならない。ユダヤ民族にいかなる企図、策謀があろうとも、またいかに世界の黄金を把持掌握しようとも、また更にかつて欧州の諸帝国を呪いしがごとく、たとえ我が帝国を呪詛し、不逞の行動に及ぼうとも、日本人がこれがため動揺してはならないし、また我が帝国が微動だにするものではない。結局ユダヤ民族は、大和民族が天業を恢弘し、もっと六合を兼ね八荒を併せ、彼らがその皇澤に光被せらるる場合においてのみ、真に平和を安ずるを得るものと、私は固く信ずるのである。

以上ユダヤ民族について色々述べたが、ユダヤ人の一人一人を見れば、数千万のユダヤ人が一人残らず、革命運動に参画しておるのでもなく、また皆一様に大財閥である訳でもない。多くのユダヤ人の中には、これを分類すると色々の種類がある。

たとえば絵で見るキリストのような、昔ながらの服装をして、「ユダヤの泣壁」に朝夕集まり、救世主の降臨を祈り、全く現代とかけ離れて、ユダヤ教のみに没頭している宗教的ユダヤ人がある。また一方にシオニストとして、パレスチナのユダヤ王国建設のみに熱中しているユダヤ人があるかと思えば、また他方には国境を超越し、世界を舞台として活動するインターナショナルのユダヤ人もある。更にシオニズムによって一般に覚醒されたとはいいながら、シオン運動には無関心に自己の商売にのみ熱中しているユダヤ人もある。

即ちユダヤ人だるからと言うて、誰も彼も危険視すべきではない、我が国にとって有害な人物もあれば、無害な善良な人もある。私が今まで論じた所は、主としてユダヤ民族の一般的概念と共に、その特異なる民族性および著名なるその勢力、ならびに重大なる活動について述べたのである。

ユダヤ問題につき、せっかく在郷軍人会本部からご依頼があったにかかわらず、公務多端しかも不文にして筆路意に委せず、論述したき幾多の希望を持ちながら、これを十分に果たし得なかったこと、並びに寸暇を利用しての作業なるため、推敲の暇なくここに擱筆するに至ったことは甚だ遺憾とする所である。しかしながら本書が、重用なるユダヤ研究のため、多少ともご参考とならば、幸甚の至りである。(おわり)

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