第十八議定書

警察の護衛を強化する時機が来たならば(この強化は官憲の権威を失墜させる最も恐るべき敵である)我々は人工的に混乱を起こすか、又は腕利きの弁舌家とその周囲に集まる仲間を使って、国民の不満を装い、その不安を口実として家宅捜索を行い、また新たな制限を設けて行き、その実行にはゴイムの警察官を用ゆる。

陰謀家というのは多くは饒舌ばかり好むのだから、彼らが行動に移るまでは、秘密警察の手先をその中に入れるだけにして置いて、彼らの為すに任せる。しばしば陰謀が摘発されると、官憲には弱点があるとかあるいは官憲自ら何か政治に過誤があるのではないかと考え込むような、尚悪い事態を生じて官威を失墜させるものであることを忘れてはならぬ。諸君も知る如く、我々の手先が企てた度重なる凶行をもって、ゴイムの支配者の権威を損したのである。これらの手先は、ある種の自由主義的言辞を弄すると、それが政治的性質のものでありさえすれば、容易に踊り出すような盲目的な動物である。

我々ユダヤの王は目に見えない護衛だけで護るから、陰謀を恐れて隠れまわるのだとは何人も想像し得ないようになる。もしゴイムの場合における様に、王に対する徒党があってこれにはかなわないから隠れるのだという様なことであるなら、それこそ王または少なくともその朝廷に対する近き将来の死の宣告である。

ユダヤ王はその威厳の行われる中に立って、人民の福利のためだけにその権能を用い、決して自身または王朝の利益のためにはこれを用いない。王がこの権威を高く保持する間は人民から尊敬され、守護され、真に崇敬の的となるであろう、それは、人民は皆彼らと国家の幸福および社会秩序の保たれることは王の稜威によることが判るからである。

公然と王者を護衛することはその政治組織の弱体を認めることになる。

王が人民の中に行くときは、偶然そこに居合わせた物好きな同情者群に取り囲まれた様に見せて、その群集が王のかたわらに居て、知らないものは秩序維持の口実でこれを遠ざけるようにする。遠ざけられる人々は謹慎な態度を取ることに馴れていく。群集の中に誰か直訴のために王に近づこうとするものがあると、王に近い人々がこれを受け取って、直訴人の見る前で王に取り次がなければいかぬ。すると何人にも直訴状が王の手元に届き、王みずから国務を監督することが知れ渡る。官憲の権威は人民が”王様さえ知って下さったら”とか”王様が判ってくださるだろう”とか言えるのでなければならぬ。

公式の警察護衛はやがて官憲の神秘的権威を失わせる。少し大胆にやれば誰でも権力者の上を超えて行けると思わしめ、暗殺者に自信力を与え、唯役人に対し凶行を演ずるに好都合の機会を待つだけにしてやるのである。我々はゴイムに正反対のことを教えた、そして目立った護衛がどんな結果を得たかを見せてやった。

我々は僅かの根拠がありさえすれば、その確否は問わず犯行者を逮捕する。万一間違うといけないという口実で政治犯を逃してはならぬ。政治犯に対しては厳酷でなければならぬ。政治犯罪の動機を調査する役に立ちそうな特別の場合でも、職権を持った政府の役人以外のものが事件に介入する口実はありえない。いかなる政府も神聖な政策ばかり行い得るものではないことを注意すべきである。

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