ゲットにおけるユダヤ人の解放

パレスチナの周囲に分散したユダヤ人は、歳月と共に流れ漂いつつ各国に移動し、東洋方面に来たユダヤ人は、ペルシャからインドに、インドから海を渡って支那に入っている。漢の武帝の時代(皇紀52-30年頃)には既にユダヤ寺院が建設され、西暦17世紀の頃には、河南省の開封府およびハンチヤフに、ユダヤ人部落が出来ていたと伝えられている。

またバビロニヤ及びエジプト方面のユダヤ人は、その国の衰退と共に、九世紀の頃多くスペインに流れ込んだ。そして同国では西暦1492年8月2日、異端糾問によって、30万のユダヤ人が国外に追放されるまで、ユダヤ人は非常に発達して黄金時代を現した。当時におけるスペインの繁栄は、全くユダヤ人の力に依ったものであるとさえ言われている。

スペインを追われたユダヤ人はイタリー、トルコに、また一部はオランダ、英国、ドイツ、ロシア、米国という風に、逐次に移動して、現在の状態となり、世界到るところ、人間の住む限り、ユダヤ人を見ざるところなきまでに、分散流布してしまったのである。

ユダヤ人が流れ込んだ先の国々を見ると、東洋は別として、欧米諸国は、ユダヤ人の奉ずるユダヤ教と、全く反対のキリスト教国であるために、ユダヤ人に対して、非常なる圧迫を加えたことは申すまでもない。しかしながら彼らはタルムードの精神王国を基礎とし毅然としてこれに対抗してきた。またこれらの国々では、ユダヤ人はユダヤ街すなわちゲットを作り、全くその国人と隔絶した生活を営み、その国家からは一般国民と同様な権利は与えられておんらかった。

しかるに18世紀の末、フランス大革命の後、フランスにおいては、一般国民と同様に、ユダヤ人にいわゆる自由、平等の権利を与えられ、欧州の他の国々でもゲットは逐次に解放された。すなわちフランスでは1789年に、宗教の自由を認められ、次いで1791年には市民権を与えられた。英国では1858年全然ユダヤ人を解放し、同年スペインではユダヤ人排斥法を撤廃した。ドイツでは1868年ユダヤ人に市民権を与えた。かくてフランス大革命の影響は全欧州に及び、ユダヤ人のゲットは解放せられ、一般の国民と同様になったのである。

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