- 本議定書の経緯ならびにその真偽については、本文第五編第七章を熟読玩味せられたい。(※引用者注、本文とは、四天王寺延孝著「猶太の思想及運動」の本文のことである)
- 二十年程前に初めてこれを読んだ時、数年前これをある論評のために所々再読した時に比して、今回この世界動乱の渦中で、公表のため三読した時とで、段々胸を打ち方が深刻になっていくことを告白する、これを読むものは単に興味本位や、ユダヤに反対せんがための材料としてでなく、よく真面目に世界の現状および歴史と対照してこれを考察し、我々の政治、経済および思想に関する三省の資料とし、将来の大なる参考とすることをお勧めする。ことに将来ユダヤが彼らの王ダヴィデの皇統を無窮に伝えようとする点に注目をすれば、いかに我が国体の尊厳であるかを賛嘆するに至るであろう。
- 本書はその原文が仏国語であった点に顧み、仏文三種を基準としほかに英露文各一種および邦文訳五種を必要に応じて渉猟したが、議定書と名づけながら、実は講演原稿のようで、決して法的に議定したものはないと認められるから、字句の末に拘泥せず、原文に忠実というよりもむしろわかりよい書き現し方を採った。議定書のそもそもの言い出し始めから、善言美辞の言い回し方を捨ててかかっているのであるから、その点を尊重して平たく訳出した点をお断り致し置く。
- 原文に「我々」というだけで意味がハッキリと浮かんでこないところには「我々ユダヤ」と訳出したところもある。
- 第一議定の始めからゴイという字が毎回出ているが、これは我々非ユダヤ人を指すので、ゴイムとはその複数を指すのである。